15TRSは、その前身となる部隊(第15飛行隊)が1917年にニューヨーク州ロングアイランドでニューヨーク市の防衛の為に誕生している極めて歴史の長い飛行隊である。当初は、当時アメリカの代表的な複葉機の一つカーチスJN-4を使っていた。1923年に第15戦術偵察中隊と命名され アメリカが第2次大戦に突入する前後は、ダグラスO-2からカーチスO-49に至るまで、偵察機を使い続け  第2次大戦中はフランス沿岸の偵察などを任務として活躍、1942年からはP-51ムスタングを装備していたようだ。

 大戦後同隊は1度解散しているが、1951年に再編され 日本の小牧基地に駐留 67th TRWの所属としてRF-80を装備していた。朝鮮戦争の勃発に伴い韓国に移動 一時は中国共産党軍との国境”鴨緑江”周辺の偵察任務 Migアレー(回廊)など前線の偵察を担当した為 最新のRF-86Fを受領している。1955年には一時横田基地にも配属となったようであるが、装備機をRF-84サンダーフラッシュに換え 1956年8月に嘉手納に移動したもの。1956年〜1958年にかけてRF-101C ブドゥーを受領し 東南アジア各方面での偵察活動に従事、1961年には台湾のCCK空軍基地に半月ほど駐留し その間に台湾空軍にRF-101Cを移管している。

1967年2月4日にRF-4Cの最初の2機を受領 1966年8月に第15戦術偵察中隊(15th TRS)と部隊名を改称し、その年の年末までに全てRF-4Cに改編を終了した。15th TRSの任務領域は広範囲に及び 18th TFWの傘下にあっても行動を常に共にしているわけではなかった1968年6月に板付を離陸して九州大学の電算センターに墜落した機体もこの部隊のRF-4Cでプエブロ号事件への対応で韓国に移動していた機体が板付に来たものである。極東唯一の全天候偵察部隊として 朝鮮半島方面での任務が多く 後に日本を去り韓国のタエグ基地に移動していった。

1991年に偵察部隊としての役割を解かれ部隊は解散、その後 なんとネバタ州インディアンスプリングスでMQ-1プレディターを操作する第15偵察飛行隊として復活している。

RF-4Cは、機首下面に3つのカメラベイを持ち 前方、前方左右、垂直面など広いエリアが撮影可能であった。カメラは、700ftのフィルムをドラムに収めた一体型のもので 着脱も一体で行われた。胴体後部のフラッシュカートリッジには、高空用のM123と低空用のM112の2種類の撮影用の投下式照明が装填できる用になっていた。
 また 機首レーダーは、任務の性格を配慮し地形回避能力を持ったAPQ-99レーダーを装備 後にはALQ-125電子偵察システムの搭載でリアルタイムに地上に偵察結果を伝達する能力も備える。
 

ZZ-582 (68-0582)

ZZ-429 (67-0429)

Insignia of 15TRS

15th TRSは、5つあった嘉手納のファントム部隊の中で、機体の入換えが多かった飛行隊で、このZZ-402も1977年までは嘉手納にいたが、翌年にアメリカ本国の67th TRWに移動している。ブロック29の末尾400番前後のRF-4Cは、少なくとも7〜8機たはずだが、1978年には1機も残っていない。

ZZ-440 (66-0440)

ZZ-446 (66-0446)

ZZ-940 (65-0940)

ZZ-593 (68-0593)

ZZ-585 (68-0585)

↑ 68-0580〜68-0585で584を除く5機が、嘉手納で確認されているが、580と583の2機は、QRF-4Cに改造されたそうである。

ZZ-583 (68-0583)

1980年代に入り 15TRSは、背中にARN-101Modを装備したRF-4C機体の受領を行ったため 背中に台形のおできの様な突起が付いたが、1970年代は、ECMポッドをつけている以外 その他の装備品をぶら下げていることは、めったになかったと記憶している。元々 F-4Cの改造発展型として1968年に初飛行したタイプで 内部にDLIRレーダー/SLAR/ELINTなど装備し アメリカ空軍期待のマルチ・センサー全天候偵察機であった。なんと 夜間の偵察もお尻からフラッシュ・カートリッジを放出して 撮影する装備をもっていた。

ZZ-581 (68-0581)

ZZ-574 (68-0574)

ZZ-552 (68-0552)

ZZ-549 (68-0549)

ZZ-548 (68-0548)

ZZ-468 (67-0468)

↑ この機体は、1980年に本国の67th TRW(テキサス州バーグストローム空軍基地)へ移動し 引退後1991年に無人機QRF-4Cドローンに改造されたそうだ。

ZZ-448 (67-0448)

ZZ-448 (66-0448)

↑ 1979年横田に飛来したZZ-448。下↓のZZ-448(ブロック34)よりブロックが古い。RF-4Cは、1964年5月18日に初飛行して 505機が作られたとされ 空軍が如何に偵察任務を重要視していたかがわかる。

ZZ-438 (66-0438)

ZZ-435 (66-0435)

ZZ-428 (66-0428)

ZZ-416 (66-0416)

ZZ-402 (66-0402)

↑ 写真が小さいのでわかりにくいが、セクション(二機編隊)の右手は、ZZ-548となっており この1枚しか確認できる写真はなかった。ZZ-548は、ブロック37の新しい機体で1980年代後半まで極東にいたはずである。

 66-0428は、RF-4Cのブロック30で、1980年にアメリカ本国に移動して後、ミシシッピー、ネブラスカ、アラバマ州空軍の偵察部隊を転々と動いた偵察型ファントムである。

 このZZ-416は、1977年に1度撮影したのみであるが、機体によっては長期に朝鮮半島の部隊に派遣されていたものもあるので長い間お目に掛かれないこともしばしばである。この機体は、1986年11月沖縄沖に墜落して失われている。

ZZ-592 (68-0592)

F-4ファントムのシリーズの中で直接戦闘を目的としない異色の型であるRF-4Cは、アジア地域の米軍基地の中では これまた嘉手納でしか撮影できない貴重な存在だった。偵察カメラを機首に積むだけでこんな大きな機体をわざわざ改良して使わなくとも 他にもっと経済的なやり方は無かったのか?疑問に思うこと暫しだが、お金持ちのアメリカらしく当時の最高の戦闘機を偵察機に活用した。戦闘機としてファントムを見慣れてきた私にとって 太いBODYに比べ鼻が細すぎて機首がくちばしに見えるので 太ったカラスを連想してしまう。

ZZ-429 (67-0429)

↑ ZZ-429は、その上のZZ-428よりブロックが新しいブロック33の機体。

↑ この機体も1979年には本国に戻り、ショー空軍基地の363th TRWへ配属されたが、1981年ジョージア州で墜落して失われている。

↑ こちらの機体も上と続き番号のブロック39と新しく、1990年に南朝鮮空軍に売却されたそうである。

↑ 写真でお気づきのことと思うが、一部のRF-4Cは、機首の空気抵抗を軽減する為 カメラ窓の斜角の変更をして機首の形状を変えている。上でご紹介したZZ-438と同様、カメラベイ部分空気抵抗を軽減した機首形状であることが判ると思う。

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ここに並べた数機のRF-4Cを見ていただくと、インテーク周辺の迷彩塗り分けパターンが、微妙に異なる。塗装の際、塗り分けパターンの基準は決まっているので 人的作業で多少の違いが出ても大きく違いことはないのだが、工場や塗装時期によって基準が違っており 各機少しずつ異なっていた。また152th TSRも1978年頃から他の飛行隊同様インシグニアの小型化が実施された。ZZ-438は小型化されて後のものである。1978年頃から翼内側のパイロンにECMポッドを常備してフライトすることが多くなった。スパロー用のステーションを持たないRF-4C独特の付け方である。